shinroundのキャリアノート

~大学の知を社会へ~

「大学に行く意味はあるのか?」(授業編)

 おはようございます。shinround(@shinround)です。関内のアパホテルにいます。

 

引き出しを開けると、今話題の歴史観に関する図書が入っています。安定のアパホテル。さすがです。

 さて、昨夜のエントリーの続きです。

 

shinround.hatenablog.com

 

大学に行く意味は2つと書きました。「授業を受けること」と「学位をもらうこと」。学位については昨日書きましたので今日は授業について考えます。

 

大学に行ってまで受ける価値がある授業とは何なのか。それは独学では学べない内容を先生から学ぶことができるということです。そしてそれが、四年間の時間的コストと金銭的コストを上回る必要があります。

 

ここで、大学教育とは何かということを再度考えたいと思います。大学教育は大きく2つに分かれます。教養教育と専門教育です。教養教育とは、世界の多様な価値観を知り、協調性や社会性などを含めた人間性を養うための教育と言えると思います。専門教育は、特定の分野の専門性を身に付けるための教育です。

 

教養教育も専門教育も、昔は大学に行かなければ教えてくれる人がいなかったですが、今はMOOCがあったり本がたくさん出回っていたり、民間の訓練校ができたりで、独学可能になり、大学以外で学べる環境がずいぶん整ってきましたから、ただ知識を身に付けるための教育は大学で実施する必要がなくなってきています。

 

では、大学の授業にどんな価値があるかというと、僕は「探究」にあると思っています。

 

「探究」とは、今解明された事実を踏まえた上で、より本質的なことや新しい概念を見つけることだと思うんです。

 

それには、問題発見能力や課題解決能力、継続力や論理的思考能力が必要です。学問を通してこれらの能力を身に付けることが、大学教育の価値ではないかと思います。

 

社会に出たら、これらの力は必須です。新しい価値を提供することが仕事だからです。探究のプロセスと社会で価値を提供するプロセスは一緒です。

 

でも、探究した成果が「四年間の時間的コストと金銭的コストを上回るのか」ということは疑わしいし、現在の新卒採用活動もそれらを意識して採用しているケースはないに等しい。だから、卒業要件を厳格化したり、評価制度を整えたり、社会との接点を持つ中で目的意識を持ちながら探究したりということが必要です。

 

アメリカやドイツなどは、大学教育が社会で役に立つということが当然のように信じられていて、大学を高く評価する素地が出来上がっていると聞きます。

 

「産業界が大学に何を求めるのか」を明確にし、産学連携して大学教育の費用対効果を高める施策が必要だと考えます。